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【特別インタビュー特集】

【特別インタビューVol.10 EGL Tours Co., Ltd. 袁 文英】

    • 【危機にこそチャンスがある。香港から日本へ最も送客している旅行会社】

      2015年の日本への送客数164,979名(香港から102,460名、マカオから62,519名)、ツアー実施数3,585件、貸切チャーター便数41便。EGL Toursは1997年から20年にわたり最も香港人を日本に送客している旅行会社である。袁会長のもとには日本からも毎日のように来客があり、65歳を迎える今も月曜日から日曜日まで働く。そんな日々を袁会長は「幸せ」という。今年で30周年を迎えたEGL Toursの会長袁さんに話を伺った。(インタビュー2016年5月5日) ※以下本文では親しみを込めてあえて”袁さん”と表記させていただきます。

       

      ■袁さんと日本の出会い

       

      袁さんが初めて日本に渡ったのは、今から44年前の1972年。当時は日本人と共に暮らし、日本を体感するための3ヶ月を過ごした。香港に戻ってから2年後、再度本格的に日本語の勉強をするために来日。関西国際学友会で半年間日本語を学ぶ。それから2年後にもう一度関西国際学友会に行き半年間日本語を学んでいる。

       

      ■香港でのツアーガイド時代

       

      香港の旅行会社に就職した袁さんは、当時香港への旅行が多かった日本人のツアーガイドをしていた。しかし、博打が大好きだった袁さんは度々マカオに行ってはお金を使い、気づけば通帳の貯金は3桁しかない。ここのままではまずいと思った袁さんは、「香港から離れればマカオに行くこともなくなる」と考え再び日本へ行くことを決意。

       

      ■日本でEGL Toursを創立

       

      1986年、日本へ渡った袁さんは7人の発起人と合弁で会社を設立。ラウンドオペレーターとして、香港の旅行会社から送客される香港人の日本側のアレンジを全ておこなっていた。しかし危機が訪れたのは1995年。円高と震災(阪神・淡路大震災)だった。当時は1USD 78円、その上震災の影響で日本への旅行客は急激に減った。「どんなに値段を安くしても、香港の旅行会社は日本へ送客しようとしませんでした。仕事が減り、まさに危機的状況でした」。そんな中、この危機にチャンスを見出した。

       

      ■香港の地にEGLの旗をたてる

       

      「”危機”とは字のごとく、危険な機会。しかしその中にこそチャンスがある。」香港の旅行会社が見向きをしなくなった日本行きの国際線はがらがらだった。まだ小さかった袁さんの会社は通常であれば、航空会社に席をもらおうとしても相手にされない。しかし、このときばかりは航空会社も「席をあげる」と言ってくれた。「今では”席をあげる”という表現はされません。しかし、あのときの喜びは今でも忘れません。」

       

      日本でラウンドオペレーターをしてきた袁さんは、日本のホテルもレストランも観光バスも、旅行に必要なものほぼ全てを直接手配することができる。それが強みになった。

       

      そして袁さんは社長でありながら、電話のオペレーションをし一生懸命旅行商品を売り込み、また、香港の全ての病院、学校、銀行などをまわりスタッフや学生用の割引プランを提案し、ガイドまで丁寧におこなった。袁さん(当時のニックネームはピーター)の名前は広まり、「こんなサービスは受けたことがない」、「ピーターに会ってみたい」と評判になり、客が客を呼んできた。

       

      ■旅行会社の価値

       

      個人旅行が増え、LCCが躍進してきた昨今、旅行会社の価値はどこにあるか。「たしかにLCCが旅行会社に与える影響は大きい。チケット販売会社にはもっと大きな影響があるでしょう。お客様が自分でフライトの情報を入力し、予約をして決済をする、企業側の手間は大きく省けます。ときには私が会社までタクシーに乗ったときにかかるHKD80で、日本行きのチケットが買えることがあります。これには驚きます。」

       

      しかし、旅行会社だからこそ提供できる価値がる。「私たちは利便性と感動を提供することができます。例えば、テーマパークや交通機関のチケットは、通常現地の窓口に並び引き換えをしなければなりませんが、私たちの手配するチケットはそのまま入場ができます。レンタカーの手配では、単に価格の高い、安いでなく、しっかり保険の内容まで精査をし、お客様にとって最も安全なプランを提案します。そして何より、ガイドの存在があります。ガイドはバスに乗っている全てのお客様の名前を覚え、語りかけることができます。お客様はこのことに驚き感動します。私たちはガイドの精神教育に大変力を注いていでいます。」

       

       

      ■EGLの社風

       

      スタッフ一人一人に“人”として尊敬して接する。これがEGLの社風の基礎になっている。先日おこなわれた30周年記念パーティでも、スタッフを全員起立させ、社外の参加者全員から拍手を送る場面があった。ここにも袁さんのスタッフへの思いが表れている。新入社員を募集するときも普通ではない。「香港の親は、子どもを大学まで行かせたらHSBCに行って欲しいと思うんですよ。そのため大学で会社説明会をおこなうときは、生徒だけでなく親にも来てもらうようにお願いしています。」そして、会場には袁会長、スティーブ副社長自らが出向き、質問に応じ、会社の方針をしっかりと伝える。ときに大学の卒業生の社員も登壇し説明をおこなう。こういった姿勢をもって親の理解を得、志の高い社員を獲得している。

       

      また、ガイドの育成においては、入念にプログラムを組んでおり、東南アジアのツアーの添乗員、台湾や韓国のガイドの経験を経たうえで、「最も旅行者の要求が高い」という日本のツアーガイドの資格を与える。さらに日本の場合は「日本語」の習得も必要になるため、留学支援もしており、ここでも袁さんの社員への信頼が表れている。「普通は留学してから3年や5年は転職してはいけない、という契約を結びますが、私たちはそのような契約は結びません。それでもやめていく人はいません。」

       

      晴れて日本語も習得し帰ってきた社員とは、年に一度、”親”を招待した食事会を開催している。親は一人前のガイドになって帰ってきた子どもをみて喜び、EGLで働いていることを誇りに思う。この食事会は「親孝行」の場であり、家族の理解を得る場でもある。
      EGLという会社はこのようにしてつくられている。

       

       

      ■鉄人・袁さんの生活スタイル

       

      今年で65歳を迎える袁さんの生活スタイルはどんなものか。「昼も夜も来客でいっぱいです。食事があれば昔は2:00までいっていましたが、今は21:30か22:00には終えるようにしています。お酒を飲んで酔っ払っても、朝は早いです。」
      起床は5:30、そして5:40には散歩・ランニングにでかける。6:50頃に家に戻り、朝食をとる。「運動は大事です。新陳代謝が良くなります。」という袁さんはプールでも30分間休みなく泳ぐことができるという。
      そして、7:50には出社し、電話のない9:30頃までの時間が自分の仕事をできるとても貴重な時間となる。

       

      月曜日から土曜日までこのスケジュールであり、日曜日は10:00に出社し13:00に退社。そして、「家族との時間はお金にかえられません。」という袁さんは、日曜日の夕食は必ず家族でするようにしている。さらに食事のときは携帯電話を絶対に見ない決まりになっている。「今は家族で食事に行っても携帯をみている人が多い。以前、隣のテーブルの6人家族が全員携帯をいじっている光景をみました。あれでは食事の味もわからないし、頭もやすまりません。」

       

      最後に、袁さんと名刺交換をしたことのある方のもとには毎年手書きの年賀状またはクリスマスカードが届いていることだろう。この手書きのカードの送り先は今年で10,000枚を超えたという。「年初から書き始めないと間に合いません。笑」日曜の午後や、出張で移動中の機内で1枚1枚丁寧に書きあげている。

       

       

       

       

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    2016.06.29

    【特別インタビューVol.9 DMM.com 取締役会長 亀山 敬司】

    •  

      DMMはジャンルを問わず多角的に事業展開している企業だ。メガヒットとなったオンラインゲーム「艦隊これくしょん」「刀剣乱舞」の運営、FX口座数国内第1位を誇り、2015年には取引高世界一の記録を作ったDMM.com証券、世界中に規模を拡げるオンライン英会話のDMM英会話と華々しい成績を残してはいるが、その創業者である亀山氏はインタビューへの登場も少なく、謎が多い人物とされていた。最近ようやく、顔出しNGではあるもののインタビューが可能となり始めた亀山氏に、急速に業績を伸ばすDMMの経営についてお話をうかがった。

       

      ■ ビジネス人生の始まりは露天商から

      亀山氏は敏腕実業家らしからぬ語り口の人物だ。そんな気負いのなさが感じられる亀山氏ではあるが、その経歴はビジネスへの挑戦に満ちている。
      19歳の時、ふと目についた道端の外国人露天商に師事して始めた路上アクセサリー販売から、亀山氏の事業生活は始まる。24歳の頃には姉が経営していた飲食業を手伝って欲しいと頼まれ帰郷、このチャンスに亀山氏は雀荘やプールバーなど様々な業態をチャレンジしていった。この「何でも試す」というスタイルは現在の多角的な事業にも反映されている。亀山氏は実家も様々な商売を手掛けていたというから、可能性がありそうなものならば何でも挑戦してみるという姿勢は家業から学んだものなのだろう。
      故郷で試した多数の事業のうち、大きく成功したのがレンタルビデオ事業だった。レンタル料金を相場よりも下げたことが成功へと繋がり、周辺のレンタルビデオ店を次々と傘下に収めていった。

      ■ 手にモノが残るビジネスが必要

      レンタルビデオ店の商売はうまくいっていたが、この業態は早いうちに廃れてしまうだろうと亀山氏は考えた。今のうちに次を考えなければならないが、今度は小売よりもモノや権利が手元に残る事業をしたいと思った亀山氏は、自らがビデオのコンテンツの権利を持つことにした。早速制作プロダクションを立ち上げたが、映画やアニメはコンテンツの権利を買うだけでも何千万というコストがかかり、手元の資金では太刀打ちできない。ただ、アダルトコンテンツの場合には数百万とコストが極端に下る。そこで亀山氏はアダルトコンテンツの版権ビジネスをスタートすることとした。
      ビデオの販売については一工夫した。この業界では問屋の倒産率が高く、倒産するたびに被害があったため、亀山氏は問屋を通さないシステムを考案する。それは小売店に数本のビデオを直接送り、その中から必要のないものは返送してもらうという、いわゆる「富山の薬売り」のようなシステムだった。こうして問屋を通すリスクを解消し、さらに1990年台前半には早くもPOS(販売時点情報管理システム)を導入、ビデオの売れ筋を把握しながら作品を制作することでヒット作を生み出していった。

      ■ 続々と新たな事業を立ち上げる

      制作プロダクションが軌道に乗ったことで、次に始めたのが動画配信サービスだ。こちらはまだインターネット黎明期の1998年にスタート、まだ無名だったAKB48の動画配信契約をものにするなどして、2006年には黒字化している。
      現在DMMは太陽光発電、オンライン英会話、3Dプリンター利用サービス、DMMGAMESなど様々なジャンルに手を広げている。中でも英会話事業は2013年スタートし、今では中国、韓国、ブラジル、トルコ、イタリアと世界に拡がっている。初めは会員数を増やすために思いきって半額でスタートしたが、当然続ければ続けるほど赤字となるため、毎年少しずつ料金を上げている。そもそも英会話事業は講師のコストがサービスの大半を占めている為、半額では完全に赤字となるのだ。これまではフィリピンの講師が主だったが、今では新たに英語を第一言語とするネイティブを講師とするワンランク上のプレミアプランも登場しており、来年には黒字転換する予定だ。

      ■ アフリカ事業がスタート。社内公募で行きたい社員がアフリカへ

      更に新たな海外事業として打ち出しているのが、アフリカへの進出だ。
      アフリカ進出の方法は非常にユニークだ。社内でアフリカに行きたい社員を募り、厳選した10名に1人当たり100万円を託してアフリカに送り込む。アフリカチームのミッションは「何かを探してくるように」というもの。それぞれがアフリカ全土に散って3ヶ月間で「何か」を探してこなければならない。何かとは儲かりそうなビジネスでも、投資先でも、人脈でも良い。「事業のスタートというのはそういうもの」だと亀山氏は語る。 アフリカ進出のきっかけは亀山氏自身のアフリカ旅行だった。亀山氏は一人旅を好んでおり、2015年の夏にも1人でアフリカを巡っていたのだという。そこで出逢った日本人が「アフリカはB2BでもB2Cでもなくて、B2Gだ」と教えてくれた。Gとはガバメント、政府と繋がることができるという意味だ。アフリカには中国人は多数進出している。だが日本人はまだまだ少ないこともあって、政府の人も気軽に会ってくれる。今後日本人が増えてきたらこうした状況もなくなるだろう。だから「早めに行っておいたほうが得かな」と亀山氏は語る。日本人の海外事業というとまず細かい計画があってのもののように思われるが、亀山氏のアフリカビジネスは将来の姿が今のところ全く見えない。日本企業らしからぬそのおおらかな姿勢は、冒険の楽しさを内包している。アフリカ事業には、最低でも毎年5億円の予算を確保している。
      中国に関しても進出の気持ちはある。中国ではエンターテインメントがブームになっていることもあり、すでに「刀剣乱舞」の中国進出が決まっている。他にもエンターテインメントがブームとなっている中国に3Dプリントサービス、自作したものを売買できるクリエイターズマーケットなど、個人のものづくりのプラットホームである「DMM.make」、最新技術で立体的な映像を可能にするホログラフィック劇場「VRシアター」なども仕掛けていきたいと考えている。

      ■ 成功するビジネスの見分け方

      亀山氏が狙うのはいつもブルーオーシャンだ。誰もが行かないところ、伸びそうだがまだあまり人が出ていない分野、「先駆者がいないからやりやすい」分野を狙っている。AKB48の動画配信にしても、艦隊これくしょんの配信にしても、まだ先行きがわからず人が手を出さない分野を選んで成功した。成功率は野球で例えるなら「ヒットが3割、ホームランが1割」なのだという。
      亀山氏は過去のインタビューで、「50歳を超えてからは自分でのアイデアを出すことが難しくなってきたため、今は若い人たちにアイデアを出してもらっている」と語っている。実際にオンライン英会話もやりたいとアイデアを持ち込んだ人がいて始まったものだ。
      社内からもアイデアは出るし、DMMが有名になったために外部からアイデアを持ち込む人も増えている。その膨大なアイデアからこれぞという物を選び出す目利きこそが亀山氏の真骨頂なのではないかと思っていたのだが、亀山氏自身は「僕は目利きできないのでわかりません。逆にダメなものはわかります。『艦これ』とかもわからないけど、どうする?わからないけどやる?という感じ。ヒットするものが分かると言うか、ヒットしないものしかわからない(笑)」と語る。
      膨大なアイデアの中から将来性のないものを外す。残った1割ほどのものは将来がわからないから試しにやってみる。スタートして半年ほどするとうまくいくかいかないかはわかるので止めるか続けるかを決める。これが亀山氏の成功する事業の選別法だ。
      人もまた事業と同じだ。どんなビジネスにしてもやらせてみないとその人にどんな特性があるのかはわからない。だからチャンスを与え、うまくいけばそのまま続投させ、ダメだったら平社員に戻す。DMMでは大きなビジネスを成功させれば、報酬もうなぎのぼりに上がる。実際、8億円もの年収を得ているスーパー社員もいるのだという。しかもそれほど巨額の報酬を得ているにも限らず、その社員は役員ではない。DMMでは役職によって給料は左右されないのだ。

      ■ ギャンブルは嗜むくらいが良い

      「DMM」という社名にはもともと意味がない。ドメインを取得する際、文字数の少ないアドレスで空いていたのが「dmm」だけだったというのが社名誕生秘話だ。亀山氏はそれほどテンションを上げて仕事に打ち込むということがないのだという。「あんまりグーってなりすぎるとだいたい失敗しますね。冷静に判断できませんから。執着を持ちすぎると泥濘にはまります。ギャンブルも嗜むくらいが良いでしょう」と語っているが、社名の由来からもその淡々と冷静な様子が窺える。昔は大学生がハマるようなギャンブルに興じたこともあるが、今では「ギャンブルというとビジネスが一番ギャンブルです」と語る。
      将来の目標はというと「特に大きな目標もないので楽しくやっていければいいです」と答える亀山氏はインタビューでも気負うことなく自然体だった。

       

       

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    2016.05.11

    【特別インタビューVol.8 アリババグループ 副総裁 孫 炯】

    • 2015年、全国人民代表大会で李克強首相が発した「インターネット+」という言葉は大きな話題となり、今も様々な場面で使われている。その「インターネット+」にについてアリババ副総裁が語ってくれた。

       

      ■ アリババが目指す新たな道

      アリババは1999年設立のIT企業、世界的なeコマースの巨頭であり2014年からはニューヨーク証券取引所に上場している。
      そのアリババが今、大きく変化している。2015年から健康関連、映画会社、音楽会社など、eコマースとは直接関係のなさそうな企業を買収しはじめているのだ。なぜか。孫氏は「アリババは行き詰まっている。新しい分野を開拓しなければ勝負はできない」からだと語る。世界一のeコマース企業でありながらアリババは危機感を持ち、新たな道に進んでいる。
      2015年、アリババ創業者馬雲氏は新たなスローガンを発表している。「一切業務数据化 一切数据業務化(すべての事業をビッグデータにつなげ、またすべてのビッグデータを事業とする)」、この言葉からもわかるように、アリババが新たに進む道とはビッグデータなのだ。

       

      ■ 中国の成長を支えたインターネットとは何か

      中国ではインターネット産業は急速に成長している。その理由を探るためにはまずインターネットの本質とは何かを知らねばならないだろう。インターネットの特徴は「中心がない」ことである。これまでの産業構造では業界ごとに1つの中心があり、その中心である大企業が成長していくものだった。大事なのは中心だ。だがインターネットはその名の通り「網」である。たくさんの穴はあるが、固定的な中心はない。どの穴も中心であり、穴同士はつながっている。人と人、会社と会社、物と物、すべてがインターネットを通じて繋がっている。インターネットにおける中心とはその時々によって異なる流動的なものだ。

       

      ■ 中国でeコマースが大きく成長した理由

      アリババはeコマースで世界一位の座を手にしている。2位以下にはアマゾン、ebay、京東、楽天が続く。だがこの2位から5位の規模を合わせても、アリババ一社にかなわない。アマゾンは全世界に展開しているが、アリババはほぼ中国一国でこの規模を有するに至った。それを成し遂げられた理由は中国国内の商業施設の不足にある。日本やアメリカでは商業施設のインフラは整っているが、中国はそうではない。都市と田舎では格差が非常に大きいのだ。いいものを買いたければ大都市に行かねばならない。だからいつでも手軽に買い物ができるeコマースが重宝されるのだ。物流のスピードアップと低料金化がこの10年で飛躍的に進んだことも成長に拍車をかけた。アリババでは現在、平均して1日4千万個の商品が取引されているが、10年以内には2億個に増加するだろうと予測されている。

       

      ■ ビッグデータのどこが優れているのか

      これまで重要視されていたインフラは交通手段やライフラインだった。これからはそこにビッグデータが加わっていく。なぜビッグデータはこれほどまでに中国でもてはやされているのだろうか。
      以前、アリババの会議上で大きな驚きがもたらされた話題がある。それは2014年のマレーシア航空の事故についてのものだ。事故機がどこに向かったのか、いつ落ちたのかは未だにわからないが、一社だけが事故機がいつまで飛んでいたのかを把握していた。それがボーイング社だ。ボーイング社では運行しているエンジンデータのすべてがインターネットを通して把握されている。そのデータをもとにエンジンの設計、改造を行っているのだ。
      中国は世界の工場と言われて長いが、中国の製造業には弱さがある。模倣はできるが自ら生み出すことができないのだ。
      例えば中国では新しい戦闘機が作られている。しかしこの戦闘機には欠点が一つある。それはエンジンの馬力が足りないことだ。ロシアから導入されたこのエンジンは、戦闘機の設計にあうほどの馬力がない。自国で合うものを開発するにしても、材料や加工の技術はあるがエンジンに関するデータが蓄積されておらず、どのようなエンジンを作ればいいのかがわからない。 中国は日本よりも個人データの保護に厳しくはなく、しかも日本よりスマートフォンが普及している。スマートフォンとインターネット、クラウドは繋がっており、スマートフォンのデータはクラウドに蓄積されていく。そのデータを分析すれば、スマートフォンの利用者が今どこにいて、何をしているのかがすべてわかる。アリババや百度、テンセントなどのIT企業がなぜ時価総額11兆円以上なのかというと、ここに価値があるからなのだ。

       

       

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    2016.04.20

    【特別インタビューVol.7 100年経営の会 理事長 千野 俊猛】

    • 千野氏は産業を中心とした情報を届ける日刊工業新聞社の前社長で、現在は顧問を務めている。日刊工業新聞も昨年100年企業の仲間入りを果たしたが、一体日本にこうした100年企業が多い理由はどこにあるのか。その価値を学び、顕彰する「100年経営の会」発足の理由と長寿企業の価値について理事長の千野氏にお話をうかがった。

       

      ■ 創業100年を超えた長寿企業の会を発足


      「100年経営の会」とはすでに100年間継続している企業、これから100年を目指す企業がともに学び合う組織だ。2011年10月から運営を始め、今年で6年目となる。日本は世界でも有数の長寿企業国家だ。にも関わらず日本では長寿企業の組織が作られることはこれまでになかった。そこで100年企業の意義と教訓を伝えるために発足したのが「100年経営の会」である。
      千野氏は1915年から101年続いている、日刊工業新聞社の前社長である。千野氏が社長を務めた時に日刊工業新聞社は創立90年を迎え、現社長で100周年を迎えた。自らが長寿企業となり、長寿企業の価値について議論をしていた時に、100年経営の会を作ってはどうだろうかという話が持ち上がった。


      ■ 3度の大震災、2度の世界大戦を乗り越えた企業たち


      100年企業は現在で言うと1916年、日本では大正時代の初め以前に設立された企業であり、数多くの危機を乗り越えた企業だ。100年の間には関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災、そして二度の世界大戦、さらに米騒動や世界恐慌、オイルショック、ドルショックなどの経済事件も経験している。東日本大震災という危機に見舞われた時、この会を創ったメンバーたちは長寿企業が多くの危機を乗り越えた強さとは何かということを考えるようになった。また、企業が100年続くには代替わりも経ている。どのように事業を継承し、そして危機を乗り越えたか、その歴史を学び、経営者たちが共有することには意義がある。そうした想いのもと、100年経営の会は東日本大震災の半年後に設立された。


      ■ 100年企業に多い業種とは


      日本の100年企業には2つの種類がある。ひとつは家族経営、ファミリービジネスの企業で、これが多くを占める。一方、少ないながらも大規模なのが、新日鉄住金(旧八幡製鉄所)などの旧官営企業だ。
      ファミリービジネスに多い業種は人間生活に必要な繊維、焼き物、食品といった伝統産業である。また日本では昔から国内の移動が多かったため、旅館も多い。長寿企業はこれらの事業を基礎としながら発展し、しかもそれぞれの地域の特性を保っている。
      例えばトヨタは自動織機から始まり、自動車産業へと発展したし、日本各地にある有田焼、清水焼などの窯業も現代まで続いている。地域の窯業が発展して新しい産業に転換している日本ガイシ(日本碍子)などの例もある。


      ■ 100年企業を醸成した「日本の文明と文化」


      千野氏は「日本の文明と文化が融合したことにより長寿企業は長く続くことになった」と語る。文明とは伝統産業、技術を指す。技術を伝承すると同時に新たな開拓も行うのが文明の伝承である。文化とは心であり、道である。技術と心の伝承がうまく行われれば、長寿企業となることができる。もう一つ日本で企業が長寿になれたことの一因に、内戦が少なかったことが上げられる。日本では戦国時代以降の内戦といえば西南戦争くらいで、産業が成り立たないほど国土が荒廃することはあまりなかった。 さらに政府もファミリービジネスを日本経済の基本に据えてきたが、この方針が成功したと言うこともできるだろう。

       

       

      ■ 100年企業を作るための3つの法則


      どのような企業であれば100年にわたり継続することができるのか、100年経営の会では3つの理由を上げている。一つは創業の精神、経営理念、そして明確な理念の高い旗を掲げて守り続ける伝統がある会社であることだ。たとえ社員が数名の小さな企業であっても自分たちが社会のために存在し、社会のために頑張っていくという精神で事業を行わなければならない。そのために立派な理念を作り、朝礼などで毎回声を出して読み上げる会社も多いのだという。その理念を原則だと常に意識して事業を行っているのだ。
      次が人を大切にしていることだ。この「人」に含まれる要素は従業員、顧客、取引先など多岐にわたる。例えばこの原則を重視する企業には「社員が夢を共有する」、「お客様を笑顔で満たす」と謳う企業が含まれる。
      3つ目は伝統の継承と革新という相反することを同時に行っている企業だ。創業時の技術や精神を守りながら、世の中の移り変わりに対応して革新していかねばならない。「伝統は革新の積み重ねである」と語る企業もいる。「伝統の継承と革新」は俳人松尾芭蕉の言葉「不易流行」と言い換えることもできる。変えるものと変わらないもの、両方を守った経営を続けなくてはならない。


      ■ 欧米とは異なる日本の「ステークホルダー論」


      会社とは誰のものであるのかという意識にも日本の独自性が有る。欧米では会社は株主のものであるという考え方が多い。だからもし短期で成果を上げることができなければ、経営者はとり変えられてしまう。だが日本では会社は株主ではなく社会のものだと考えられてきた。たとえ小さな企業でも社会に役に立って生きていくという理念を掲げることは多い。オーナー経営であっても会社は自分のものであって自分のものではないのだ。
      こうした理論をまとめるとき、「ステークホルダー論」という言い方をする。ステークホルダーとは利害関係者のことを指す。会社における利害関係者とは経営者、従業員、顧客、取引先、そして立地する地域も含まれる。だから会社はすべての人のものだという考え方であり、つまり社会のものだということになる。
      長い時を超えても、コアとなる一番大事なところを守りながら、そこから派生したものを育て、様々な外的要因に対応して会社を継続させていくのが長寿企業だ。だから継続には価値があるのだと言えるだろう。


      ■ オーナー経営とサラリーマン経営の走り方


      長寿企業の数もそうだが、日本はその小ささにも関わらず経済規模も世界的に五指に入る。なぜこれほど経済が強いのかというと、ファミリービジネスをベースにしていること、そして世界一厳しい顧客がいることに原因がある。どんなに伝統がある会社であってもマーケットに受け入れられなければ長続きはしない。一度でも手抜きのものを作ったらその企業は終わりだ。こうして世界一厳しい顧客の目に叶った企業のみが残っていく。
      企業が継続するための課題はこうしたマーケットへの対応、そして事業継承にある。千野氏はオーナー経営をマラソン、サラリーマン経営を駅伝だと表現する。サラリーマンの場合は数年間頑張って次の社長に「移していくこと」に意義がある。オーナー企業の場合には42.195キロのフルマラソンを走りきって次の世代に渡す。もし跡継ぎの息子がいなかったり、あるいは継がせるだけの器量がないときには、婿をとって跡継ぎとした。


      ■ 会社を継続することの価値


      100年経営の会では長寿企業の良い点を話し合い、抽出し、学んでいる。日本の経済産業省が会をバックアップしているが、それは多くの企業がそれを学ぶことに価値を見出してくれているからだ。昨年からは長寿企業を多くの人に知ってもらうために、表彰制度を始めている。
      日本の長寿企業は短期的に大きな利益を上げて、その企業を売却して創業者が利益を得るということは目指していない。短期的な創業者の利益よりも、事業を安定的に成長させていくということを目指す企業が長寿企業となる
      100年たっても中小企業なのかと海外の人に冗談交じりで言われることもあるのだという。ただ、日本には大きいことだけが良いことではないという価値観がある。「屏風と商売は広げれば倒れる」ということわざもあるほどだ。

       

       

       

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    2016.04.07

    【特別インタビューVol.6 日本経済大学 大学院教授 後藤 俊夫 】

    • 100年企業を目指すには。その秘訣を思想から探る

       

       

      ■ 統計が取られていなかった日本の長寿企業

       

      後藤氏は経営学者であるが、もともとは民間企業に勤めていた。関東に生まれ育ち、1966年にNECに入社し、1999年、定年目前の57歳にして教鞭をとることとなる。長寿企業の研究を始めたのは転身を果たしてすぐのことだ。長寿企業に興味を持ったのは、誰もそこを研究対象としていなかったからだ。意外なことに日本を含め、どの国の政府も老舗に対する統計を取っていないのだ。後藤氏はまず、地道なデータ集めから研究をスタートする。 調査は難航した。前述した通り、統計がない。日本では各都市部に商工会議所を置くことが定められているが、創業年度のデータを取っているところもあればそうでないところもある。しかもすべての企業が商工会議所に登録しているわけではない。商工会議所の組織率はなんと3割を切っているのだという。さらに都市部以外の郡部には商工会議所すら置かれていない。 データ集めに苦慮する中で、長寿企業についての記載が多い観光ガイドブックなどを頼ったりもしていたが、21世紀に入ってインターネットが普及することで調査は格段に進んだ。日本は世界的に企業のサイト保有率が高い国であったことが功を奏したのだ。

       

       

      ■ 世界一長寿企業の多い国

       

       

      2004年、後藤氏は始めて学会で長寿企業についての発表を行う。場所はデンマークのコペンハーゲンだった。日本の老舗だけではなく、多数の国のデータをできる限り集め、初歩的なデータとして発表できた。これを日本の学会でも発表するが、残念ながら人々に顧みられることはなかった。長寿企業の研究など経済経営学の研究対象ではないとされたのだ。だが後藤氏は研究を諦めなかった。研究を続ける中で判明したのは、日本は世界一長寿企業が多い国だということだった。これを数字で確かめてみよう。 後藤氏にとって転機となったのが、2007年、NHKに取り上げられたことだった。後藤氏が協力した内容は「長寿企業大国ニッポン」というタイトルで全国放送された。この影響は大きく、2008年にはTBSが特集番組を組み、また日本経済新聞も「200年企業、成長と持続の条件」というタイトルで連載を始めた。後藤氏自身もビジネス金融紙「フジサンケイビジネスアイ」での連載を持つようになる。日本は長寿企業大国だという認識はこうして日本に広まっていった。 後藤氏は始め世界中の200年続いた企業を調査した。最新データでは、1位は日本で3,937社、2位がドイツで1,563社となる。だがこれでは納得がいかないと後藤氏は感じた。後藤氏は長寿企業の定義として創業100年という数字を揚げている。100年は代表者が3、4代目となる時期だ。調査では3代続くとその後も継続する率が安定してくるということが分かっている。だから100年という数字を基準にしたランキングを知りたかったのだ。 やがて後藤氏は100年企業のランキングを作り上げた。その結果は1位が2万5千数25,321社の日本、2位が1万1千数11,735社のアメリカ、3位がドイツというものだった。だがアメリカはそもそも母数自体が大きい。比重で見なければならないと考え、経済の大きさ、GDPとの比重で比べることにした。すると順位は1位が日本、2位がスイス、3位がドイツ、4位がオーストリアとなり、アメリカは17位に落ちた。ちなみに日本の2万5千数社という数字は調査で明白にデータが取れたものだ。実際は6万社ほどになると後藤氏は推測している。 後藤氏にとって転機となったのが、2007年、NHKに取り上げられたことだった。後藤氏が協力した内容は「長寿企業大国ニッポン」というタイトルで全国放送された。この影響は大きく、2008年にはTBSが特集番組を組み、また日本経済新聞も「200年企業、成長と持続の条件」というタイトルで連載を始めた。後藤氏自身もビジネス金融紙「フジサンケイビジネスアイ」での連載を持つようになる。日本は長寿企業大国だという認識はこうして日本に広まっていった。

       

       

      ■ 長寿企業になるための4つの秘訣

       

       

      では長寿企業にはどのような特徴があるのだろうか。 日本の長寿企業の場合、その特徴のひとつにファミリービジネス、所謂家族経営の企業だという点があげられる。後藤氏はデータを集めながら、長寿企業の経営者に対してインタビューも行っているが、あるとき経営者の1人からこんな言葉がでてきた。「短期10年、中期30年、長期100年」。これはそれぞれ短期計画、中期計画、長期計画の期間を表したものだ。後藤氏は民間企業に籍を置いていた頃中期計画を担当していたが、その期間は4年だった。一般的に多くの企業で短期計画は1年とされている。長寿企業の計画期間の長さには驚きを禁じ得ない。 2つ目は企業を取り巻く関係を長期的に大事にすることだ。従業員を短期で解雇することはなく、代々同じ家の人々が働くこともよくあることだ。顧客とも数代に渡って付き合うし、取引業者もそうだ。地域との強い繋がりが有り、従業員、顧客、取引先、地域との関係を長期的に大事にしている。 3つ目は地域との繋がりとして地域貢献活動を地道に行っていることがあげられる。日本には企業が創設した博物館が600ほど300以上あるが、そのうちの少なくとも200120ほどが長寿企業によるものである。この事業には直接の金銭的メリットはほとんどならないため、地域への貢献という意味合いが強い。 4つ目の特徴であり、また長寿企業が長寿として成り立っている理由が、伝統と革新を両立させていることだ。イメージ的には老舗というと京都などの古都で伝統産業に従事しているよう菜イメージがあるが、必ずしもそうではない。例えば後藤氏が出逢った企業の中に、江戸時代から続く金型企業があった。その企業では自動車の金型を作っているのだが、もちろん江戸時代には自動車はない。もともとこの企業は農機具を作っていた会社だった。だが、モータリゼーションが進むにつれ、同じ金属加工である金型へと移行していったのだ。このように時代に合わせて柔軟に業務内容を変化させていくことが、長寿の秘訣だったのだ。

       

       

      ■ 日本に長寿企業が多い理由は「継続への強い意志」

       

       

      日本ではなぜ長寿企業が多いのか、後藤氏はその内的要因を3つに纏めている。まず、「人事教育、財務会計、リスクマネージメント」などの近代的な経営管理だ。日本には丁稚奉公や番頭制度という人事教育制度があり、また江戸時代には世界的に見てもレベルの高い会計制度を確立していた。長寿企業は経験の中から経営手法を生み出し、地道にそれを実践してきたのだ。 第2に、外部的要因にはとして緩やかに続く成長市場があった。1600年から1800年までの経済成長を米の生産高を基に調べた研究があるが、そこでは年率0.1%で成長していたという結論が出ている。非常に緩やかではあるが成長が続くことで、老舗は生き残ることができたし、新規参入も可能だったのだ。 だが、それよりも企業継続の要諦であると後藤氏が考えたのは「次世代へ繋ぐ」という継承の意志が極めて強いことだ。日本の長寿企業の多くはファミリービジネスだ。日本は世界と比較して継承の意志が強いことが分かっている。先代から預かった財産を少しでも殖やし、家を継続させていくことに対する熱意が高かったことが、企業の継続を支えたのだ。

       

       

      ■ 日中韓における儒教と商売

       

       

      意志というものは、思想から来る。日本の思想を形作るものはいくつかある。とくにその中で影響の強いものは儒教であり、これは中国から伝わった。他にもインドから中国、朝鮮半島を通して伝わった仏教があり、また日本古来のものとして神道がある。儒教も家を大切にするし、また神道も大家族主義の思想を持っている。これが継続の意志に繋がった。 同じ儒教を思想的バックボーンとして有している国に中国と韓国がある。中国では中華人民共和国建国前から続いている企業が「老字号」と呼ばれているが、この中にも儒教思想を大切にしている企業がいくつもある。後藤氏が中国で訪れたある「老字号」企業は、孔子堂と銘打たれた会議室に孔子像を飾り、儒教を会社の理念に取り入れていた。 韓国ではどうか。韓国は日本よりもずっと儒教の色合いを深く残している国ではあるが、長寿企業は少ない。後藤氏が確認できているのはたったの16社だ。なぜこのような結果が出たのかというと、韓国に根付いた儒教は商業を蔑視するものであったからだという。日本では江戸期には石田梅岩、二宮尊徳、明治期には渋沢栄一などの人物が出て、儒教と商業を結びつけている。これが韓国と日本の差になったと後藤氏は語る。

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    2016.02.01

    【特別インタビューVol.5 日本政府観光局(JNTO)理事長 松山 良一 】

    • 訪日外国人旅行者数の著しい拡大、昨今の中国人観光客による「爆買い」現象もあり、今日本で観光産業が注目を集めている。2020年東京オリンピックを控え、日本の観光産業はどのように変わっていかねばならないのか、何が求められているのか、日本政府観光局(JNTO)の松山氏にお話をうかがった。

       

      ■ 大切なのは訪日観光客の満足

       

      10月1日から7日までの中国の大型連休「国慶節」の間、日本は多くの中国人で賑わった。日本を訪れる外国人旅行者数は2014年で1341万人、2015年7月にはひと月あたりで過去最高192万人という結果を出すなど、好調な伸びを示している。日本政府は2020年までに年間2000万人の外国人旅行者を日本に呼び込もうという目標を立てていたが、本年1年間の訪日数は1,900万人に届く勢いであり、「2,000万人時代」が早期に実現する可能性がある。 だが、急激に増加する訪日観光客は様々な問題、課題をも孕んでいる。よく言われているところでは、ホテル、バス、ガイドなどのキャパシティオーバーの問題がある。特にいわゆるゴールデンルートと呼ばれている東京から京都、大阪にかけては、現在ホテルの予約手配が難しい状況にある。まずは何が必要で、何から解決していくかという優先順位を付けるところから始めなければならない。その中で大切なのは「訪日客にいかに満足してもらえるか」ということだ。満足してもらい、更に今後リピートしてもらえるようにしなくてはならない。

       

      ■ 「いつか」行きたい国、日本

       

      日本を訪れる外国人旅行者が増えたと言っても、世界の外国人訪問者数ランキングでの日本の順位は22位とそれほど高くはないのが現状だ。2014年の外国人訪問者数は観光大国のフランスが8000万人を越えており、例えば東南アジアのタイは約2500万人と、日本との差は大きい。 旅行先としての日本のブランドイメージは世界的に見ても非常に高く、イタリアとトップ争いを繰り広げているほどだ。中国から見れば距離もヨーロッパに比べれば非常に近く、またタイと比べてもほとんど差はない。「いつか」行きたいという希望を、「今行きたい日本」に変えることが重要である。

       

      ■ 観光で人と人との触れあいを促進する

       

      訪日外国人旅行者の数字ばかりを増やすことが目的ではない。大切なのは質だ。松山氏は、観光において大切なことはただ旅行するだけではなく、人と人が触れあうことで相互理解が進むことだと考えている。 例えば、ドイツとフランスは長く戦いを続けてきた国同士だが、1963年のエリゼ条約で定期的にトップが会談を行うこと、若者たちの交流を行うことが定められ、その結果多くの若者たちが相互交流をしているという。日本と中国においても、こうした若者たちによる相互理解の機会が増えることが期待される。 日本人の生み出した文化や日本という国を感じてもらうために、いかに長期で滞在してもらうのかということも大きな課題だ。これは中国やアジアに対してばかりではなく、欧米に関しても当てはまる。松山氏は以前上海を訪れた際も、在上海日本商工クラブや様々な日系企業に対し、日本への社員旅行増加を訴えてきた。上海だけではなく、各国・各地で相互交流の機会拡大に向けた取組みを進めることが重要であるという。

       

      ■ 東京オリンピック前後の国際イベント

       

      2020年は東京オリンピックという大きなイベントがあるが、その前後にも大きなイベントがあることはあまり知られていない。オリンピック前年の2019年には今回日本の活躍で盛り上がりを見せているラグビーワールドカップが日本で開催され、また2021年には関西でワールドマスターズゲームズが開催される。ワールドマスターズゲームズとは4年に1度行われる30歳以上のスポーツ愛好者であれば誰もが参加できる生涯スポーツの祭典で、2021年は第10回目のメモリアルとなる。オリンピックの競技人口が1万人強であるのに対して、ワールドマスターズは門戸が広いため競技人口が2.5万人にもなる。選手たちの家族も応援のために駆けつけるため、その経済効果も期待されている。 3つの大きな世界大会が立て続けに行われることで、世界における日本への関心も高まっている。このチャンスに日本をアピールしていくこともJNTOの役割のひとつだ。

       

      ■ 心のバリアフリーを推し進める

       

      日本はこれまでものづくりで成長してきたが、観光産業は重要視されてこなかった。だが、今後日本では少子高齢化が更に進むにつれ、観光産業が日本の基幹産業としての役割を担っていくことが期待される。観光産業を発展させるには、国外からたくさんの人に日本を訪れてもらうことはもちろん、受け入れる側も体制を整えなければならない。2019年から相次いで開催される3つの世界的イベントは、観光という産業の大切さを広めていくチャンスとなる。 2020年はオリンピックの後にパラリンピックが控えている。物理的なバリアフリーとともに、心のバリアフリーも必要となると松山氏は考えている。 また、日本人は外国語への苦手意識もあり、外国人旅行者に対する心のバリアフリーも大切である。例え言葉が通じなくても笑顔によって心が通じ合うこともある。外国人への苦手意識を取り除いて、心から受け入れ、おもてなしができるようにならねばならない。

       

      ■ アジア観光を考える日本、中国、韓国の3か国協議

       

      今年、日本、中国、韓国の3か国の観光大臣が集う会合が開催され、3つのことが決まった。3か国の人的交流を増やすこと、アメリカやヨーロッパなど遠来からの観光客に3か国を周遊してもらえるようにすること、そして観光交流における質の向上に向けた取り組みである。 人的資源の交流は現在2000万人ほどの規模となっている。中国と日本、日本と韓国で500万ずつ、韓国と中国で1000万人、合計が2000万人だ。この数が2020年までに3000万人を突破するように交流を活発化させていく。 ヨーロッパからアジアへの観光客については、こういうことだ。日本人がヨーロッパを訪れる場合、ロンドン、パリ、ローマなどの各国を巡るヨーロッパ周遊ツアーが多い。これと同じように、例えば北京、東京、ソウルを巡るようなアジア周遊ツアーを押し進めていくというものである。 観光交流における質の向上については、日本でも急激に外国人観光客が増加したことでマナーの話題が顕在化している。このようなマナーについては実は日本人に先例がある。数十年前、海外旅行が庶民にも行き渡り始めたころの日本でも、やはり海外でのマナーが分からず問題になったことがあった。この時日本では旅行会社でマナーを教えるという対策をとることで問題を解決に導いた。

       

      ■ 観光産業の大切さを日本国民に根付かせる

       

      現在、外国人観光客の割合は日本の観光産業全体の7%ほどに過ぎない。地方に行くと更に少なくなり、1%になるところもある。観光産業はこれまで内需に負うところが大きく、産業の担い手も日本人ばかりをターゲットとしているところが多かった。今後、日本国内の関係者が一丸となってインバウンドに取り組み、インバウンド観光産業が大切な産業であるということを根付かせることが重用である。 これまでの数々の経験のなかで、松山氏が大切にしているのは「現場」だという。現場に足を運べばそこに解決策はあると松山氏は考えている。目指す目標への設計図である戦略は作ることができても、それを実行することは難しい。現場にやる気になってもらい、ひとつひとつ現場を見ながら計画を進めていかねばならない。人と人との理解を図り、仕事を行う。それを実現するために必要なのは誠実さだと松山氏は語った。

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    2015.12.19

    【特別インタビューVol.4 株式会社ティーケーピー 河野 貴輝 】

    • TKPは2005年に立ち上がったばかりの企業である。しかし貸会議室ビジネスを主軸に、海外にまでその事業を伸ばし、驚きの成長を遂げている。その経営者である河野氏が目指しているのは「スーパーベンチャー」だという。河野氏に企業成長の軌跡、そしてスーパーベンチャーと企業経営のあり方について、お話をうかがった。

       

      ■ 情熱のままに立ち上げたTKP


      TKPは貸会議室事業を中心にビジネスを拡げるベンチャー企業だ。2005年の創設から10年で急成長を遂げ、今では海外にも進出している。
      TKPを立ち上げた河野氏はもともと伊藤忠商事、為替証券部のディーラーだった。その頃、社内でインターネットの証券会社を立ち上げることになり、河野氏はそのプロジェクトの一員となる。この時設立されたのが、日本オンライン証券(現カブドットコム証券)である。その後は証券会社に続く新たな挑戦として、今度はイーバンク銀行(現楽天銀行)の設立に携わる。
      こうした経験を経るうちに、河野氏のオーナーとして事業を興したいという気持ちが高まっていった。その気持ちのままに立ち上げたのがTKPだ。当初はベンチャーを立ち上げたいという情熱ばかりが先に立ち、どんな事業をしたいのかも分からないままだった。決まっていたのは「インターネットを使う」ということだけだ。インターネットを利用して、非効率的なものを効率化していくというところにビジネスチャンスがあるのではないか。河野氏はそう考えていた。


      ■ 偶然の機会から貸会議室ビジネスをスタート


      やがて一つのチャンスが訪れた。1階のテナントが立ち退くまで2、3階を破格の価格で貸してくれるという六本木のビルの情報を得たのだ。河野氏はこれを借入れ、3階を近くの工事現場事務所に、2階を貸会議室とした。これが河野氏の貸会議室ビジネスの始まりだ。
      もちろん、貸会議室ビジネスをやっていたのは河野氏だけではない。しかし、インターネットで検索しても数は少なく、不動産のオーナーが空きスペースを貸会議室にしているという急場凌ぎのものはあっても、専業の会社や、全国展開しているところはなかった。当時は会議施設が必要な時にはホテル、あるいは公民館などを使用することが一般的だった。そこで河野氏は、この需要を満たす貸会議室ビジネスを拡大しようと考えた。


      ■ 2つの苦難を乗り越える


      借り手が決まっていないスペース、利用が休日に集中している結婚式場を会議室として提供していくという、この貸会議室ビジネスは当たり、TKPは右肩上がりの成長を果たす。設立当初、日本は不況であり、企業は研修施設などを売却していたため、貸会議室ビジネスの需要は多く、波に乗って雪だるま式に成長した。貸会議室以外のビジネスも模索していたが、成長があまりに順調なため、ビジネスを貸会議室に一本化したほどだ。
      だが、何事もなく順風満帆であったわけではない。TKPはこの10年間でふたつの難関に直面した。一つ目の難関は2008年のリーマンショックだ。突然の不況により、1か月で5億円のキャンセルとなり、1億円の赤字が出た。
      この損失をどのように埋めるか。河野氏はまず、仕入れ価格を下げることにして、オーナーへ懸命な談判を行った。2005年から2008年までの間、不動産の相場は急激に下がっており、訳あり物件を相場の半額で借りていたTKPの仕入れ価格と一般の家賃がほぼ同程度にまでなっていた。そこでオーナーと仕入れ価格を交渉し、40%安くした。次に利用者を増やすために会議室の単価を30%下げた。するとこれまでとは違う大手外食企業や大手IT企業、各種試験会場といった利用者が増え、顧客数はリーマンショック以前の2倍に増え、売上はこれまでの1.5倍ほどに上昇した。 こうして河野氏はひとつ目の難関を乗り越え、TKPは成長路線に戻ることができた。


      ■ 事業拡大でピンチを乗り越え、更に成長する


      もう一つの難関は2011年に起きた東日本大震災だ。この時にもキャンセルが相次いだ。河野氏はここで、思い切って事業内容を転換した。まずは主力であったリーズナブルな貸会議室ビジネスを子会社化した。
      一般的な社内会議やセミナーではそれほど高級感のある会議室は必要ないが、株主総会や式典といった大きなイベントの場合には、ホテルで開催されることが多い。このホテルの宴会場というマーケットは、5000億円ほどの規模がある。河野氏はこの市場の獲得を図る。これまで出席者一人あたり1万円掛かっていたものを、TKPでは半額の5000円で提供する。TKPはすでに「リーズナブルな貸会議室」としてのブランドを築いていたため、ホテルの宴会場ビジネスで、顧客に割安なものと捉えてもらえるのではないかと河野氏は考えた。こうして始めたのがガーデンシティというホテルの宴会場サービスだ。スタッフにも優秀なホテルマンを揃え、高級ホテルに比べて遜色のないレベルにした。

       

      ■ 海外にTKP最大規模の宴会場を作る


      2011年に始めた新たな流れはこれだけではない。海外進出も始めた。日本国内だけに頼っていては今後どうなるか分からないからだ。海外はニューヨーク、上海、香港、シンガポール、台湾、ミャンマーに拠点を作った。そのうちニューヨークではタイムズスクエアにTKP内でも最大である1000坪の宴会場を作るほど、力を入れている。ニューヨークで成功すれば、アメリカ全土、そしてヨーロッパにもビジネスを拡げることができるのではないかと考えているからだ。 アジアについては初めに上海の南京西路に拠点を作った。現在では人民広場に2号店もオープンしている。


      ■ 3種類の宿泊事業を展開


      宿泊事業にも進出した。宿泊施設には3つの種類がある。ひとつがリゾート型宿泊研修施設「レクトーレ」、会議室とホテルのハイブリッド型施設「TKPアパホテル」、そして全室離れの温泉付き高級旅館「石のや」だ。
      「レクトーレ」「TKPアパホテル」はもともと研修時の団体向け宿泊施設だが、最近では中国の団体客が利用することも増えており、連日高い稼働率を誇っている。高級旅館でも中国人客の利用が増えており、週末は日本人、平日は中国人の利用が多い。
      ビジネスユースな施設を運営するTKPの中で高級旅館というのは、少しはずれた存在のように見える。なぜ高級旅館を作ったのか。その理由を河野氏は「もったいないから」と答える。潰れてしまった旅館がそこにあるが、壊すのはもったいない。日本の良いものを残したいという想いだ。
      日本には良いものがたくさんあるが、観光資源としてそれを掘り起こせていないと河野氏は考える。京都は外国人に人気があるが、人気があるのは清水寺や伏見稲荷ばかりだ。だが京都は決してそれだけのものではない。もっと京都の持つ本質で勝負すべきだと河野氏は考えている。中国人が爆買いと言われる行動を起こし、儲かっているからと小手先の中国化を行っても意味はない。中国経済に左右されるような一過性の観光ブームでは、日本の観光業の将来は危険であると河野氏は語る。


      ■ ベンチャーではなく「スーパーベンチャー」を作る


      河野氏は自らの会社をベンチャーとは区別し、「スーパーベンチャー」としている。スーパーベンチャーとはどのようなものか、ご説明いただいた。
      河野氏曰く、ベンチャーとは社長がメインとなって会社を引っ張っていくもので、もし社長が辞めざるを得なくなったり、あるいは辞めたくなった時には、容易に終焉を迎えてしまう。あるいは上場したところで売りに出してしまうことも多い。ベンチャーとはあくまで社長一人に頼るものなのだ。
      河野氏は会社のあり方を「凧」という比喩を用いて説明する。ベンチャー企業は社長が凧を持って走り回り、凧を揚げているようなイメージだ。世の中の経済の流れに凧が乗れば、上昇する。ただベンチャーではその糸は短く、高くまで上がらない。良い風に乗れば、凧は容易に高く上がるかもしれない。だが、あまり高く上がると糸が切れてしまうかもしれないし、凧自体が風圧で壊れてしまうかもしれない。糸は創業者の理念や想いを示している。
      河野氏は会社を大きくしていきたいと考えている。ただ、大きくなって会社が「公器」と言われるようになった時に、所有者がはっきりしていることが大切だ。誰のものか分からなければ、誰も責任を取らないからだ。「自らの責任で思いっきり事業をやりたい」、それが河野氏がTKPを創立した理由だ。河野氏の求めている「スーパーベンチャー」とは「ベンチャー」の魂を持ちながらにして、大きく成長する会社だ。ベンチャーの魂である凧の糸を太くするためには、社長一人に頼っていては限界がある。社員一人一人が「商人の魂」を持つことが必要だ。


      ■ 事業を拡げていく上で大切なこと


      日本には株式会社の原点を作ったという近江商人がおり、彼らには三つのやってはいけない利益の出し方という考え方がある。その3つとは、「投機による利益」、「買い占めによる利益」、「政治家と癒着してあげる利益」だ。なぜこの方法がいけないのかというと、この儲けは一過性であり、長く続くものではないからだ。企業を長く続けるには利益の出し方にも注意しなければならない。
      この他に河野氏が会社経営で気にしているのは、「信用力」、「資金調達力」、「ブランド力」だ。TKPを始めた頃、まだ信用力が育っていなかったため、河野氏は自らの実印や貯金通帳を示して、物件を借りる交渉を行ったりもした。そこで河野氏は三井住友銀行や伊藤忠商事などの大手企業に株主に入ってもらい、信用力を高めた。信用力が高まると事業がうまく行き、資金を銀行から借りることができ、利益も上がっていく。規模が大きくなると、今度はブランド力が上がっていく。
      企業を大きく育てるために、業務範囲を狭めたくはないと河野氏はいう。TKPを土台としたコングロマリット集団を築くのが目標だ。だから海外でも貸会議室事業だけをするつもりはない。
      ドラッカーの言葉に「社会の問題の解決を事業用の機会に転換することによって、社会の要請に応え、同時に利益にすることが企業の基本である」というものがある。社会が必要とするものを見つけ出し、事業化する。だから貸会議室にはこだわらない。新しいことを見出し、利益にしていくことで、そのエリアに新しい商流が生まれ、根づいていく。そうすることで成長エンジンが手に入れることができれば、いろんな分野で影響力のある会社になれる。それこそが「スーパーベンチャーの真骨頂」であると河野氏はいう。

       

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    2015.12.10

    【特別インタビューVol.3 SBIホールディングス 北尾 吉孝 】

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      証券、銀行、保険、投資事業等を傘下で手掛け、「金融コングロマリット」を形成するSBIホールディングスは、1999年にソフトバンクの中間持株会社として独立し、急成長を遂げた企業だ。2005年より海外展開を加速させ、アジアを中心とした成長著しい新興国への投資を積極的に行っている。そのSBIグループで連結5000名を超える社員を牽引するリーダーが北尾氏である。その北尾氏にグローバルビジネスに対する考え、今後の日本の取るべき道をお話していただいた。

       

       

      ■中国、アジアへのSBIグループの進出


      SBIが中国への投資を始めたのは2005年のことだ。まずはシンガポールの政府系投資会社と組み、2008年からは中国の大学系企業グループと相次いで共同でファンドを設立し(清華大学、北京大学、復旦大学)、未公開企業への投資をスタートした。大学系企業グループと共同でファンドを設立したのは、中国ではアメリカのシリコンバレーで見られたような産学協同がうまくいっているからだ。今ではASEANにまで投資のテリトリーを拡大し、またSBIグループが15年かけて作り上げた証券、銀行、保険等の金融コングロマリットの移植も始め、海外展開を促進している。
      SBIは、当時インターネットの分野で先行していた米国で急成長したビジネスモデルを日本に持ち込む「タイムマシン経営」を行った。そして現在は逆に、21世紀をアジアの時代と捉え、SBIが日本で構築してきたインターネット金融コングロマリットの事業モデルを、中国などアジア各国でも展開しようとしている。
      現在、アジアを中心に成長著しい新興国への積極投資を行うSBI、北尾氏の考えるグローバル経営の要諦とはどのようなものなのだろうか。

      ■信じて任せて用いる


      北尾氏は、グローバル事業を展開する上で一番大切なものとは「人」だと断ずる。現地で中心となって事業を進める人物はその国の人に任せるべきだとの考えから、現在、SBIの上海、北京、大連の3拠点はすべて中国人を拠点長に任じている。どの国に生まれた人もそれぞれの国の歴史と伝統の中で生まれ育っている。そうした人々に他の国の考え方や立ち居振る舞いを押し付けるべきではないし、それではうまくいかない。だから、同じ歴史と伝統を持つ中国人を拠点長にしているのだ。各拠点長に対して北尾氏は「信用」し、報告を受けるだけとしている。「任せて用いる」「任用」に対し、「信用」は「信じて任せて用いる」という「任用」のひとつ上の段階である。
      また、異なる国籍のスタッフを本社の役員にも任じている。グローバルにSBIグループを発展させていくためには、北尾氏の後継者さえ、国籍、性別を全く問わないという考えだ。重要なのはSBIグループのために一所懸命頑張ってくれる人を正当に評価し、成長させることなのだ。

    2015.12.07

    【特別インタビューVol.2 株式会社高島屋社長 木本 茂 】

    • ■ 総利益の20%を占めるシンガポール高島屋


      2012年12月、高島屋が上海の古北地区でオープンした。高島屋では現在海外事業の重点を中国・ASEANへとシフトしている。2010年にはニューヨークの五番街にあった高島屋を売却し、この売却資金も中国・ASEANシフトへの資金源としている。日本のGDPは10年間にわたり横ばいの状態が続いているが、中国、ASEANは共に5%を超える成長率を示し続けている。この成長を自らに取り込むのが高島屋の大きな目標だ。高島屋の国内百貨店、グループ会社、海外事業を含めた2015年2月期の利益は320億円だが、そのうちの63億円がシンガポール高島屋によって占められている。こうした成功例をさらに生み出すことが中国・ASEANで期待されている。


      ■ 500億円の海外投資


      高島屋は2019年までの5年間に2300億円投資するという長期プランを出している。このうち500億円が海外投資に充てられる予定だ。海外投資の具体的な例の一つにベトナムのショッピングセンターがある。ベトナムの首都ホーチミンにはすでに2014年にイオンがショッピングセンターを2つ出しているが、高島屋が出すのは百貨店と専門店から構成されるショッピングセンターだ。具体的には玉川高島屋の様子を想像してもらいたい。この形態はシンガポール高島屋と似た形態のものだ。 また2017年にはタイのバンコクにサイアム高島屋の出店が計画されている。バンコク市内を流れるチャオプラヤ川沿いの12万平米のショッピングモールに入る予定で、広さは3万6千平米となる。


      ■ シンガポール高島屋、成功の理由


      シンガポール高島屋はなぜ全利益の約20%を稼ぎだすまでに成功したのだろうか。その成功の理由を木本氏は徹底した現地マーケットへの対応、そしてシンガポールの経済成長の波に乗ることができたからだと説明する。高島屋がシンガポールに進出したのは20年前、始めの10年は赤字だった。しかしシンガポールのGDPが徐々に上昇し、ハイクオリティーな物を求める人々が増えてきた時に、先行投資で作られていた高島屋が求められるようになったのだ。
      シンガポールに特徴的なのはツーリストの来店者が多いことだ。シンガポールは東南アジアの各国からアクセスしやすいため、自国に高級感のあるショッピングセンターがない近隣の富裕層がシンガポール高島屋を目指して訪れるのだ。そのため東南アジアでもその名は広まっており、自国にも高島屋を作ってもらえないかという声が高島屋に掛かることも多い。タイとベトナムへの進出もそうした経緯から生まれた。


      ■ 上海高島屋の新たな試み


      上海の高島屋は富裕層のレジデンスが立ち並ぶエリアにある。始めこそ多少の厳しさはあったが今では売上を徐々に伸ばしており、まだ赤字はあるとは言うものの、昨年の営業収益は前年比で21%の伸びを示している。上海市内には過剰と言えるほど多くの百貨店が軒を並べているが、その中には前年比で営業収益が落ち込んでいるところも少なくない中での成長だ。現在では平均して1日1万人ほどの来客が訪れているのだという。
      2015年6月19日にはここで新たな試みがスタートした。輸入商品保税展示取引区が開設されたのだ。これは長寧区、上海税関、上海国検局などの協力によるもので、上海初の自由貿易試験区外の保税展示・取引試験区となる。約500平米で約1000種類の日本製品を展示販売しており、そのうち3分の1は中国に初めて入った商品となる。こうした新しい試みが行われている他、現在高島屋の隣地に北京発のSOHOという商業施設も建設が始まっている。これは高島屋と同程度の規模となる予定で、完成後には相乗効果でさらに来客数が増加することが期待されている。


      ■ オムニチャネルの活用


      日本国内についてはEC事業を含めたオムニチャネル戦略に力を入れている。2014年度にはオムニチャネルでの売上が100億円の大台に乗っており、今年度はその20%増を狙っている。中元や歳暮のギフトでは、オムニチャネルでの売上を1店舗として考えると、日本の全店舗中で第2位という規模に育っている。
      一般的に百貨店ではお中元、お歳暮の季節になると催事場にギフトのサンプルを展示し、注文を受ける場が作られる。だが百貨店を訪れず、インターネット上でギフトをセレクトする人が増えているのがこのオムニチャネルの成長の要因だ。
      これを更に伸ばすために取り組んでいるのがユーザビリティの向上だ。ECを利用している人の5%が決済の前に諦めてしまっているが、その理由はシステムの煩雑さにある。これをいかに使いやすくするかが今後のポイントだと木本氏は考えている。


      ■ インバウンド消費と国内の成長エンジン


      昨今話題となっているインバウンド消費も高島屋に大きな利益をもたらした。2014年にはインバウンドによる免税売上が140億円ほどとなったが、これは2013年の2倍の額である。今年は第一四半期で72億円を計上しているが、これは2014年同時期の3倍の額となる。インバウンド消費の内訳は中国、香港地区、台湾地区を合わせた数字が、全体の7割を占めるという。
      インバウンド消費が脚光を浴びているが、日本国内にも成長エンジンはある。例えば東京都中央区の人口増だ。中央区はどちらかというとオフィス街というイメージが強いが、近年人口増が続いている。その理由のひとつはオフィスの再開発があり、もうひとつには晴海エリア等のタワーマンションの建設である。東京23区のうち、中央区は現在、最も人口増加率の高い区となっているのだという。この中央区には高島屋の日本橋店があるが、現在この店舗の再開発として現在の日本橋店の隣に新棟を建設している。これはオリンピック前年にグランドオープンが予定されている。
      新宿駅の再開発も成長エンジンの一つだ。新宿駅南口の基盤整備が完成すれば新宿高島屋の側にバスターミナルを併設した駅舎や商業・オフィスビルができあがる予定となっており、成長マーケットとなることが期待されて投資が進められている。


      ■ 異業種とのアライアンスで新機軸を見出す


      高島屋で今、積極的に行っているのは異業種とのアライアンスだ。これまでにも新事業はいくつも行ってきたが、基本的には自社内で行っていた。しかしやはり得意分野を持っている企業とアライアンスを組んだ方が、経営の効率化やスピードにおいてメリットがある。
      こうした事業の一つがトランス・コスモス社と行っている日本製品のアウトバウンド事業だ。日本にある良質な商品を海外に輸出する場合、単独で進出することは難しい。そこで高島屋とトランス・コスモス社が海外マーケットに商品を提供するためのプラットホームを作っている。これに関しては日本国内から500社ほどの引き合いがあり、またASEAN各国からの問い合わせも多いのだと言う。他にも刃物メーカーの貝印とのフード&パートナーズという食品専門店事業など、多彩な展開を行っている。


      ■ お互いの納得を経て作り上げる一枚岩の組織


      高島屋という歴史のある大きな集団をまとめる立場にある木本氏が気をつけているのは、「組織で動く」ということだ。リーダーシップも大切だし、個々人の力を高めるのも大事なことだが、組織が如何に強固であるかということも大事なことだ。木本氏の好きな言葉は「一枚岩の団結」だ。お互いが議論を通して納得し、その上で一枚岩となって一つのものに向かって進んでいく。組織を強くするというのはそういうことだと木本氏は考えている。
      その団結を作り上げるための秘訣は現場の近くに隠されている。どれだけ顧客の声いを拾いそれを活かせるか。上から見ているだけではなく、現場でなくてはヒントは見付からない。現場を見ることに気をつけていないと現実と施策がずれて行ってしまうと自らに言い聞かせているのだと木本氏は語った。

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    2015.08.10

    【特別インタビューVol.1 株式会社ユーグレナ代表取締役社長 出雲 充 】

    • ■ 食物、化粧品、燃料、様々な可能性を持つミドリムシ


      「ユーグレナ」とはミドリムシの学名だ。その名の通り、ユーグレナ社はミドリムシの商用大量培養、研究を行う企業である。
      ユーグレナ社ではミドリムシを沖縄県の石垣島で培養している。ミドリムシは外敵に弱いため、それを守りながら屋外で大量に培養する技術がユーグレナの核となる。
      ミドリムシを用いた商品はすでに非常に多くのものが市場に登場している。代表的なものが、青汁に含まれる野菜の栄養素に59種類の栄養素をもつミドリムシを加えた「ユーグレナ・ファームの緑汁」だが、この他にもヨーグルトからパン、クッキー、サプリメントまで、様々な商品が販売されている。ミドリムシは名前に「ムシ」とついているが実際は海藻であるため、食物に混ぜても抹茶や磯のような風味があり、様々な食品への添加が可能なのだ。ミドリムシは食物の他に化粧品にも利用されており、またミドリムシを用いたバイオジェット燃料の研究開発も進められている。


      ■ 出発点は「栄養失調をなくしたい」という想い


      今では「ミドリムシ大好き」と述べるユーグレナ社社長の出雲氏だが、昔からミドリムシを追っていたわけではない。ミドリムシの事業を始める切っ掛けとなったのは、大学1年生の夏に訪れたバングラデシュだ。バングラデシュはアジアの小国で人口は約1億5千万、人口の半数近くの1日の所得が1ドルに満たないという貧しい国であり、多くの子どもたちが慢性的な栄養失調に陥っている。出雲氏はこの栄養失調問題を解決したいと思った。
      日本に戻った出雲氏は効率的に栄養がとれる素材を探し始めた。そして3年生の時にミドリムシと出逢う。その時から現在に至るまで、出雲氏はミドリムシを追い続けているのだ。


      ■ 世の中に出るなら大企業と連携しなければならない


      ユーグレナ社は2005年8月に創業した。2006年から500社に営業をかけ、2008年5月に伊藤忠商事からの出資を受けたことにより、これが実現した。500社という数には圧倒されるが、出雲氏はこれを苦労ではなかったと語る。出雲氏にはミドリムシが好きで、ミドリムシの可能性と技術に自信があり、いつかブレイクするという確信があったからだ。なぜこんなに素晴らしいものを伝えることができないのか、出雲氏の悩みはそれだけだった。
      創業にあたり、出雲氏にははじめから、大企業と取引する必要があるという気持ちがあった。ベンチャーや中小企業との取引で少しずつ成長するという方法もあるが、世の中に広めるには大企業と連携するしかない。「ミドリムシが素晴らしい」といくら個人が言っていても信用性は薄いが、大企業が厳しい審査を通して認めたものとなれば、多くの人が信用してくれる。大企業を通して信用を勝ち取ることが大切だと出雲氏は考えていた。


      ■ 企業の信用がなければ長期取引はできない


      次に新たな信用を勝ち取る機会となったのが、2012年12月の東証マザーズへの上場だ。ベンチャー企業が相手の場合、長い取引をすることに躊躇する大手企業も多い。なぜならば取引を開始しても、10年後にも会社が存在し、安定して取引を続けることができるかどうかが分からないからだ。だが上場することがその会社の保証となり、長期的な研究やビジネスを行うことに安心感が生まれる。上場すれば四半期ごとの決算で会社の状況が外部からも分かりやすくなるからだ。 ユーグレナ社では現在ミドリムシから抽出したバイオジェット燃料の開発を行っているが、これは10年単位の時間を必要とするものだ。上場したことにより会社の透明性が高まり、こうした長期の研究を大手企業と組んで行うことができるようになった。

       

      ■ それぞれの要望にあったミドリムシを提供する


      一口にミドリムシと言っても様々で、分かっているだけでも100種類以上のミドリムシがある。ビタミンEが多いもの、カルシウムが多いものなど、個性は異なり、中には非常に油分を蓄えたものもいる。こういうミドリムシは特にビタミンなどは含有せず、食物には向いていない。しかし、絞るとたくさんの油が抽出される。これをバイオ燃料として利用したのが、バイオジェット燃料の研究開発だ。
      出発点は栄養失調問題の解決だが、事業内容をそれだけに絞らないのが出雲氏のやり方だ。新たなチャンスを排除せずに何にでも挑戦していく。例えば、特に栄養素もなく売りが見つけられないが、水をきれいにするというミドリムシもいる。このミドリムシについては国土交通省からの受託で下水道処理にどういう貢献ができるのかという研究を続けている。100種類以上のミドリムシの中にはそれぞれの顧客のニーズに沿ったものがいて、それを見つけて培養し、提供する「ミドリムシ技術を限りなく高めた会社でありたい」と出雲氏は語る。


      ■ 中国、そしてイスラム圏への進出


      ユーグレナ社は2015年7月、中国へ進出する。すでに3年前から台湾系の統園国際と提携し、新食品原料としての認可をとるために申請を行うなど、中国進出への準備を進めていた。この認可が2013年11月末に下りたため、満を持しての中国進出となる。進出に先立ち、すでに各種展示会に参加しているが、日本の科学技術、農産物に対する信頼感も後押しして、本当にこんないい話しがあるのかと心配になるほどたくさんのオファーが舞い込んでいるのだという。
      中国以外の海外展開では、中国に匹敵する人口を有するイスラム圏にも力を注いでいる。イスラム圏でユーグレナを販売するためには、ハラル認証を受ける必要がある。ハラルとは「イスラム法で許されている」ということを示す言葉だ。ユーグレナ社は中国での食品認証申請を始めると同時に、ハラル認証の取得も進めていた。このハラル認証も既に認可が下りており、まずは社会貢献としてバングラデシュの約4000人の子どもたちの給食用にミドリムシ入りのクッキーを配布し、栄養失調をなくすための活動(ユーグレナGENKIプログラム)を行っている。こうした活動で経験を積みながら、ビジネスとしてはどのようにすればイスラム圏で受け入れられるのか、デザインや味付け、文化背景を学び、イスラム圏の市場を開拓して行く予定だ。


      ■ 資源はなくとも技術で世界に貢献する


      ユーグレナ社の将来的目標は、2020年には中国市場を日本市場以上の規模に拡大すること、そしてバイオジェット燃料で飛行機を飛ばすことだ。2020年は東京オリンピック・パラリンピックが開催される年だ。多くの人にミドリムシ由来のバイオジェット燃料を用いた飛行機で東京を訪れてもらいたいと出雲氏は語る。
      更に先の目標としてはミドリムシビジネスを始める切っ掛けとなった栄養失調状態の撲滅がある。栄養失調の子どもたちが多いムスリム圏、アフリカ諸国をはじめ世界には10億人を越える栄養失調の人々がいる。これを「ゼロにしなければいけない」と出雲氏は言い切る。
      日本は資源の乏しい国だ。しかしたとえ石油を産出していなくても、ミドリムシという資源を科学技術で新エネルギーとして海外に輸出することができる。食とエネルギー、この2つの問題をミドリムシという無限の可能性をもつ藻類で解決する。それが出雲氏の夢である。

       

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    2015.08.10
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